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JX4E2016

 バイク雑誌業界の人がここ数日ザワザワしているのは、本当に長い間、ホンダ朝霞研究所の広報として活躍されたタケさん……鈴木武仁さんが9月28日に急逝されたからだ。チーズナッツパークなどをよく走っている人ならタケさんのことをよく知っていると思うけど、そうではない人は「いったいだれ?」と思うだろうと思うので、書いておこうと思った。

 言うまでもなく、日本のバイク業界において、ホンダは中心的な存在のメーカーだ。そのメーカーとメディアの接点となる仕事をしていたタケさん。僕らバイク雑誌業界の人間からしてみたら、巨人のような存在感をもつ人だったのだ。その立場とかに関係なく、人間性と行動力でね。
 また、タケさんは、年に1回ホンダが開催するエディターズミーティング(通称編集長ツーリング)という業界イベントのコース制作もしていて、なおかつ本番での先導役もしていた。そんなわけで、業界内ではタケさんのことを知らないヤツはモグリってくらいの人だったんだ。

 でも、僕は業界としての付き合いよりも、オフロードライダーとしての付き合いのほうが濃密だった。僕があまりメーカーに取材しないってこともあるし、タケさんも僕がオフロード好きだというのを知っていたので、自然とそういう接し方になっていったんだと思う。
 
 タケさんは、竹を割った性格というのがぴったりくる人で、割った竹のなかに爆竹が入っているような人だった。だから、タケさんに助けられた人もいっぱいいるし、タケさんにこっぴどく怒られた人もたくさんいる。僕は要領がいいのか、タケさんが僕に遠慮していたのか、あまりこっぴどく怒られたことはないけど、でもタケさんが誰かを罵倒しているのは時々見たことがある。おっかないし、頑固だけど、でも筋はだいたい通っているし、だからタケさんはそれだけ厳しくても疎まれることはなかったと思う。

 タケさんとの出会いは1990年代のJMM(ジャーナリスト・モーター・ミーティングという業界内のイベント)だったと思う。いまはなき、桶川HARPのコースで一緒にレースを走ったのが最初だった記憶がある。そのあともちょくちょくは接点があったけれども、そんなに親しいというほどではなかった。

 親しくなったのは、本誌が協力しているBAJA FREERIDE TOURにタケさんが参加してからだ。2009年だったと思う。タケさんが速いライダーだってのは以前から知っていたけど、それ以上に楽しいライダーであることを知った旅だった。先導する僕をタケさんはXR650Rで笑いながら追い抜いていって、しばらくしたら道から飛び出してる……なんてのが数回あって、本当に楽しかった。

 そして2011年、タケさんは初めてBAJA1000に参戦。2012年には僕と渡辺、塩野めぐみと組んでBAJA1000に出た。2012年のBAJA1000で、タケさんは本当に素晴らしい活躍をみせてくれた。僕らのチームはこのとき、250ccクラスで3位入賞したんだけど、それはほとんどタケさんの走りがあったからこそ、だった。

 僕のパートでガス欠したときに、大地の向こうからガソリンをもって現れたタケさんのことをよく想い出す。ガス欠した間抜けな俺を怒ると思っていたのに、カラカラと笑いながら「よかったなー、連絡つく場所でえ」と、屈託のない笑顔で、独特のイントネーションで話しかけてくれて、心底嬉しかった。未だにあの瞬間の喜びは僕の心から離れない。

 BAJA1000の最中にはケンカしたり仲直りしたりってのもあったけど、でもどうしようもなく嫌いになるようなことは絶対にない人だった。

 そのあと、一緒にサハリンにもいった。サハリンではガイドの僕がパンクを立て続けにしたりして、なぜか客のタケさんが直してくれたこともあった。タケさんは本当にバイクに乗るのが、バイクでいろんなところに行くのが大好きな人だった。もっともっと、いろんな場所を一緒に走りたかったなあ。

 タケさんは本当にホンダが大好きで、いくら勧めてもホンダ以外のバイクには絶対に乗らない人だった。他メーカーのバイクに乗るのもいい経験のはずだけど、でもタケさんは頑固なくらい乗らない人だった。そういう信念は、正しいとか正しくないとかじゃなく、素敵なことだと思う。

 タケさんに助けられたおかげで今がある……という人は、世の中にいっぱいいると思う。実際に僕もたくさん助けられたし、タケさんの協力を得て世に出たという人も僕は何人か知っている。バイクが好きなライダーを肌で感じ、本能的にサポートする、そんな鋭い嗅覚をもっていた人だと思う。

 もうちょっと長生きしてくれて、ヨボヨボのジジーになってくれたら、俺も1回くらい勝てたんじゃないかと思うと本当に残念だ。それくらい、速いライダーだった。

鈴木武仁さんのご冥福をお祈りします。

rider 三上勝久